私の職場にいる20代の若者たちを見ていて、目からうろこがおちることが多々あります。若者ってこんなに仕事できるんだ・・・・と。
もちろん、彼らが優秀であることは間違いないのですが、それにしても私が大学出たての新卒だったころは社会の仕組みなんて何もわかっていない子供だったし、ほんと右も左も・・・・。という感じでした。勉強は多少はしたけど、社会のことはからっきしなので、1から10まで教えてくださいってなもんです。会社のほうにも、新卒が即戦力になるという概念はなかったし。
それに比べ、わが職場の新卒は、いきなり入ってきて引き継ぎも指導もほとんどゼロに近い状態から、自力で与えられた仕事を咀嚼し、進め、必要なことを勉強し、おとなたちと対等に議論し、りっぱな書面をつくり、プレゼンし・・・・。と。ほんと中堅やそれ以上と変わらない働きぶり。
ぶっちゃけ私なんかよりずっといい仕事をしているわけで、我に返ると落ち込んで、愚痴大会になりそうですが。なんで彼らがあんなに成熟しているのか、について最近考えているのです。
自分のことを振り返ってみると、大学卒業するまで、多少のバイトはしましたが、社会に出ているおとなたちと定期的にかかわって活動したり話をしたりという機会は全然といっていいほどなかったし、もちろん「おっさんやおばさんと話してもしょうがない」という気持ちもありました。なので、おとなと仕事をしていくということに対して、何の準備もなかった気がします。
どうしてそこまで純粋培養みたいなことになってしまったのか、改めて考えてみると、日本って、人々は同じ年代の人同士でグループわけされて、ほとんどその中でつるみます。子供、若者、おとな・・・・、いくつになっても、だいたい同年代のみで固まっていて、そのほかの年齢層と交流しない。閉じられた小さい世界から出ることをせず、それ以外の年代のグループに対する免疫を全然つけないような状態になっている。
アメリカに来てみると、それがものすごく流動的なのが印象的です。たとえば、びっくりするほど家族の交流が深いので、みんなしょっちゅう家族親戚で集まりますが、その集まりにも子供から大人までみんな参加型。
スポーツ、Fundraising(資金集めのイベント)、課外授業、サークル、ボランティアなども盛んで(これは実は、日本で言う内申書の点数が高くなるからという側面もある)、そういうのも子供、若者、おとなが同じグループで活動したり。もちろんアルバイトも盛んですし。
とにかく、年齢の垣根が日本よりもずっと低くて、いろんな場面であらゆる年代が入り乱れて活動している。そのせいか、「おじさん、おばさん」という概念がない気がします。単に世代が自分よりも上だから拒否する、という考え方がないような。
その結果何が起こるかというと、子供や若者が、疑似社会、疑似職場みたいな環境に早い時期からなじんで、その中でどう動いていくか、何をどう吸収していくか、ということを自然と覚えるような気がします。だから精神的に成熟するのが早い。
さらにん、「飛び級」という概念のある国だから、どんなグループ、集まりでも、期待の若手は、若くてもどんどん重要な仕事を任され、ものすごいスピードで成長していく。
若い力を、早くから存分に伸ばす土壌がある、ということなのかな。
えー、結論としては、彼らを見ていて本当に後悔の念にかられているのです。体力もあって頭もスポンジのように何でも吸収できる若いときに、もっともっとちゃんと努力しとけばよかった。多少の勉強はしたつもりだったけど、バブルの学生だったからひどいもんです。若さを無駄遣いしたなあ、もったいなかった・・・と。だいたいが後悔体質なのですが、さらに後悔入ってる今日この頃。
もちろん後悔は先に立たないので今からでもさらにがんばるしかないのですが、それとは別に、人間が幼稚化しているといわれる日本では、年齢でわけて固まる制度を全体的にやめて、もっと縦につながるしくみに変えることは、けっこう大きなカンフル剤になるのではないか、と、思ったりしています。